PCを再購入

 つい先日のことであるが、私は三度PCを購入することに成功した。

バーガーパソコンというソフマップのオリジナルブランドのPCで、非常に安価な割には使い勝手がよいもの(グラフィックボード非搭載なため、スピーカのみでの音声出力となるが、まあそこは問題はない)である。

 また、中学生の頃より夢に見たデスクトップタイプのPCであり、現在は部屋にあるテレビをモニターとして使用、現在もその性能を遺憾なく発揮してくれている。元来私は全くと言っていいほどテレビを見ないため、半ば部屋のインテリアと化していたのであるが、今回のこの高い買い物のかいあってめでたく部屋で生活するうえでの必需品スタメンに返り咲くことができた。

 私は電化製品に縁がなく(というより電化製品に限らずものすごく物持ちが悪い)、数多のノートパソコンを闇に葬ってきたが、今回のこいつとの付き合いは長いものとしていきたいと思っている。(そもそもデスクトップのために、自然とPCをする位置が固定され、破壊されることはまずないだろう)

 この新たな相棒も手に入れたことだし、ゆくゆくは中学生の頃より願っていたプログラミングの学習を再始動していきたいものである。

 そしてこの相棒を手に入れたことにより、新たに挑戦できることがもう一つある。

 それは「絵を描くこと」である。以前よりペンタブは購入していたのであるが、持ち前の三日坊主な性格とノートパソコンで絵を描くということの不慣れさにより、立派な倉庫の肥やしとなってしまっていた。

 しかしながら、大きな画面と「定位置に座ってじっくりかける」という非常に私にとって絵を描くということに適した環境を整えたことにより、再び日の目を浴びる日も近くなった。

 今までとは大きく違うものを手にしたので、ぜひとも多くのことに挑戦し、これを十二分に使いこなすことが、現在の私の目標である。

露西亜旅行記 序文

 人間とは時にまったく合理的でない行動とる場合が存在する。斯く言う私もそういった手合いの人間であり、あと数時間後にはこのドミトリーを発つというのにこうして記事の作成に久方ぶりに着手している、という次第である。

 今回の旅行は野郎二人の全く気を遣うことのない非常に開放的な旅…であるはずであったのだが、モスクワに向かう途中の列車内で、私が高熱を出して死にかけたというハプニング(謎の湿疹が出たり、これは最早『事故』とカテゴリングするのが相応しいかもしれない。現地の駅に来てくださった医師の話では風土病?アレルギー?らしかった)が発生した。
  その際に声も出せぬ私に代わって、自身の語彙を精一杯活用して私の状態を周囲に伝え、私の命を救ってくれたのである。
 そのお蔭で幸いにも現在は湿疹も熱も再発すること無く、平穏無事にドミトリー内の二段ベッドにて、スマートフォンを片手にこうして駄文を書き散らすことができている。

 私はどれ程感謝を書き連ねようとそれを表すことは出来ない。(私の語彙が貧弱であるせいでもあるのだが)日本へ帰国した折りには是非とも我が家へと招待し、精一杯の感謝ともてなしをしたいと思う。
 さて、「ロシア旅行記」と題したものの、友人への感謝を書き連ねてしまった(これは恐らくロシア語を履修した影響だろう)。

 本格的な旅行記は、ペテルブルクへと向かう列車内で書いていくとしよう。

タッチペン

 今日は珍しく何もない一日であったのでかねてより友人から進められている「タッチペン」を買いに走った。(自宅の裏手の100円均一だが、何もないと一日家にこもりきりなこともざらにあるので、いい運動をしたといえるだろう)

 はたして使い勝手がいいのかはなはだ疑問であったので、まぁ100円の安物なら失敗してもそう痛くはないだろうということで購入したのであるが(この思考がもとで安物買いの銭失いとなることもしばしばある)存外に使い勝手がよく、ソーシャルゲームを頻繁にプレイする私としては革命といってもよいものであった。ソーシャルゲームやラインなどのコミュニケーションツールを指でするとどうしても指紋が気になりがちになり、画面を布きれでふく回数も自然と増えていく。

 しかしながらタッチペンへ切り替えたことによって、その回数は減少し、画面上の衛生も保たれていくことだろう。

このタッチペンという頼もしいお供は、露西行軍にも連れていくとしよう。

 夏の到来を感じさせる爽やかな早朝に、私はもうじき十年の付き合いとなるであろう『奴』との散歩に向かうことにした。

 奴は犬種の中でも比較的小柄で痩せているほうで(家での態度はでかいくせにだ!)、父犬譲りの白い毛並みをしている。そんな奴だが一歩外に出るとその尊大な態度はどこへやら、一変しておどおどして私のそばを決して離れず、何とも忠実かつ従順な散歩の手間のかからぬ子犬に変化する。

 小犬のくせに体力と運動神経は並外れており(これは母犬の影響であろう)、一度歩くとなると私の体力を根こそぎ持っていくような一面も存在し、大学入学以来体力の落ち続けている私にとって非常に運動の助けとなってくれる奴は健康志向の我が家にとって非常に大切な家族の一員である。

 そろそろ十年も齢を重ねようというのにその行動は全く子供そのものといってもよく、いまだにぬいぐるみのおもちゃで遊びたい盛りの老いを感じさせぬかわいい小犬である。

 一見馬鹿に見える奴であるが、人の感情の変化にも鋭く、私が涙を流しているときなどはそのそばを離れようとせず、カオをこすり合わせてくるのだ(甘えるときにもしてくるのだが、これがまた可愛らしい!)。

 しかしいくら老いを感じさせぬとはいえ奴も高齢者(犬?)となりつつある。これからは今まで以上にいたわっていく必要がありそうだ。

 

新たな季節 

 まだ皐月だというのにうだるような暑さがこのところ毎日続いている。

そんな中私の所属する団体も新入生を迎え、いよいよ新年度の活動を開始しようとしており、本日はその新入生に基礎の基礎の研修を行なった。

 寄せては返す波のように、別れがあれば出会いもまたこの人の世には存在する。

 新たな新入生たちは皆やる気に満ち溢れた意欲的な心とそれに見合うであろう技術を併せ持った非常に戦力となる新入生ばかりだ。

 私も来月の頭には記事の推敲などに忙殺されることだろうが、すべきことがあるということほど幸福なことはあるまい。なにより私には「為すべきこと」がある。

 

 

久しくものを書いていなかったせいか、文章の構成がいい加減なものになりつつあるが、またコンスタントに記録していくことで自然と慣れていくことだろう。

 そういった意味でも、私の友人の書いていた旅行記の存在は大きい。洗練された文をみると、やはり書きたいという欲求が刺激されていく。

 影響を受けやすいと言われればそれまでだが、露西亜行軍をともにする友人、彼との旅行も非常に楽しいものとなりそうだ。

本を読むということ

 私にとって読書というものは世界を知るための眼鏡であり望遠鏡であり、そして心を満たさんとする栄養であったように思える。

 思えば物心ついた時から言葉の通じぬ外国での暮らしを余儀なくされ、自分がふれることのできる世界というものはほんのわずかしか存在していなかった。

そんな中読書に耽るのは必然といえるものだったかもしれない。

 かつてはそこの廣い屋敷にて母と二人で暮らし、使用人を困らせる所謂「聞かんち」な子供であった。

 そんななか母はよく本を読み聞かせてくれた。特に「ディズニーのお話聞かせて」という絵本は本が擦り切れるまで読んだし、それ以降日本に帰ってきても多種多様な本を読んでいた。

 その当時は覚えていなかったが、祖父たちの話によると「まだ年端もいかぬ子供が広辞苑のような分厚い本を読んでいるさまは驚嘆に値した」と祖父の営業しているラーメン屋の常連客が私を見て言ったそうだ。

 先にも記した儚い羊たちの祝宴は、その時の世界を知る感覚、というよりその本の世界にのめりこむという感覚を思い出させてくれた。

 おそらくこれを皮切りとしてまた私の読書欲は再燃することだろう。

ほんの18年ほどしか保っていなかった熱が二十歳をしばらく過ぎた折に再燃するとは思ってもみなかった。

 これぞまさに「茶文禄」としてのもう一つの役割として担われることとなるのではないだろうか。

儚い羊たちの祝宴

約ひと月振りの更新となるだろうか。今日私は一冊の名著に出会った。

 それが今回の記事の題ともなっている米澤穂信氏の「儚い羊たちの祝宴」である。

この作品のジャンルはミステリーであろうか、本来私はミステリーというものが好物ではなく、「お話というものは昔々で始まり、めでたしめでたしで終わるものだ」といった類の人種なのであるが、この本ばかりは時を忘れて頁をめくり気づけば一冊が終わってしまっていた。恐らく読破するまでに一刻とかかっていなかっただろう。

 昔のように書籍を一心不乱に読みふけるといったことがとんとなくなってしまっていた私にとってこれは水面に投じられた石のような存在であるといえる。

久方ぶりに心が満ち、素晴らしい時を過ごすことができた。

また昔のように読書で夜を明かすというのも楽しいかもしれない。